赤ちゃんが誕生すると、無事に育つように願うのが親心ですね。
男子に、強くたくましく育てと願う節句があるように、女子には、優しく華やかに健康に育てと願う節句が用意されています。
それが、春を迎える季節におこなわれる「ひな祭り」ですね。
1.ひな祭りの由来
一年の間に、大きな節目が五つあります。
その節目を、節句と呼んでいます。
五節句の一つに、3月3日のひな祭りがあります。
ひな祭りのルーツは、中国の「上巳(じょうみ・じょうし)の節句」です。
上巳とは、陰暦における3月、初の巳(み)の日のことを言います。
この日には邪気が災いをもたらすといわれ、水辺で身を清め、邪気を追い払う風習がありました。
この上巳の節句の風習が、遣唐使によって日本に伝えられ、独自の日本文化と一つとなり、ひな祭りへと発展していきました。
「桃の節句」とも言われています。
桃の花の季節というだけではなく、桃の木は「邪気を払う神聖な木」として信じられていました。
日本書紀においても、霊力を持つ桃の実を投げて、黄泉の国の追っ手を退治したイザナギの話が掲載されています。
2.日本におけるひな祭りの歴史
ひな祭りは古い歴史を持ち、すたれることなく、現代にも受け継がれてきました。
水で身を清めて邪気を払う風習は、宮中行事としてとりいれられ、「曲水の宴」が催されました。
やがて人形(ひとがた)を作り、体をなでることによって穢れを移し、川へ流すようになりました。
それがいまも、流しびなとして残されています。
宮中の貴族の遊びだったひな祭りは、大人から子供へと広がっていきます。
当時の上流階級の女の子たちの間に、人形や調度品で遊ぶ「ひいな遊び」が流行していました。
このひいな遊びと邪気を払う行事とが結びつき、今のひな祭りとなっていきました。
ひな祭りが庶民に定着するほど盛んになったのは、江戸時代であります。
まず宮中行事となったひな祭りを、幕府の大奥が取り入れ、庶民へと広がっていきました。
それは、江戸時代の安定した政治のおかげでもあります。
様々な町人文化や人形作りが発達して、現代のひな祭りが確立されました。
3.ひな祭りに作る縁起のいい料理
ひな祭りの料理は、由来を知って作ると一味違いますね。
きっと子供たちにも、より一層の楽しみとなることでしょう。
「ちらし寿司」をたべるようになったのは最近のことなので、いろいろな説があるようです。
平安時代の桃の節句には、「なれずし」が食べられていました。
これは、魚を米と塩で乳酸発酵させたものです。
発酵によって酸っぱさがありますので、今の酢飯とは違いますが、お寿司の原型となるものです。
このなれずしに、エビや菜の花など、いろどりのよい具材を乗せて食べたのが受け継がれました。
現在はより華やかになり、エビ、レンコン、豆などの縁起のいい具材を乗せています。
健康で豆に働き、先を見通し、腰の曲がるまで長生きできますようにと、願われているのでしょう。
ハマグリは、最初のついになったものとしか合わないことから、生涯一人の人と添い遂げるようにという願いがありました。
ハマグリのお吸い物には、「いい人と結婚して、幸せな家庭を築いてほしい」という親の願いが込められているのですね。
4.ひな祭りの供え物
白酒は桃の花をつけたお酒で、桃花酒と呼ばれます。
邪気を払う縁起物ですが、アルコールのない甘酒とは違います。
菱餅も、中国から伝わったものです。
母子草をついた草餅でしたが、母と子をつくというのが嫌われ、日本ではヨモギが使われています。
ひし形になったのは、江戸時代初期の頃です。
ヨモギの緑と子孫繁栄の菱の実を入れた白という、二色を組み合わせていました。
ひし形は心臓をあらわすといわれ、増血効果のあるヨモギの緑、血圧を下げる菱の実の入った白、
解毒作用をもつクチナシで色を付けたピンクという説があります。
また、健康で長生きの緑と清らかな白、災いを防ぐピンクという説もあります。
また、雪(白)がとけたら大地に草(緑)がはえ、桃(ピンク)の花が咲いて春を迎えるという説もあります。
ひな人形に春の景色を見せるという風習から生まれたのがひなあられ。
川辺や野原で、ひな人形と一緒に食べました。
菱餅を砕いて揚げたものでしたが、今では、ピンク、緑、黄、白の4色で、四季をあらわしています。
一年中幸せに暮らせますようにという、願いが込められていますね。
穢れを払って元気に育てと願いを込めた流しびな。
地方文化がさかえた江戸時代には、豪華なものや素朴なもの、緻密なものや味わい深いものがたくさん作られました。